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イラストレーター、DJ ヨシダキョウベイ[Kyobei]/大阪芸術大学美術学科中退/伊勢志摩マニア お仕事のご依頼は kyobeya@gmail.com まで。

2011年2月27日日曜日

キョべ屋洋画劇場:スモーキー・モンキー麻拳


ここは大阪の郊外。南河内郡河南町。とある芸術大学に無気力な美術学科生、中の島三吉と、おなじく無気力な映像学科生、高瀬タコ丸がいた。

三吉とタコ丸はいつものように授業をさぼり、大学裏山に自生するという伝説の巨大大麻を見つけるべく、学内飼育の野良犬“柔王丸”にトリュフ犬ならぬ大麻犬をさせ、捜索にうつつをぬかしていた。心優しい同級生達は、このままでは落第必至の二人を案じ、授業に戻るよう促すべく再三、裏山へと現れた。だが三吉もタコ丸も聴く耳を持たず、いつものように藪の中を彷徨い歩くのであった。あほなレンジャーである。一体学校を何だと思っているのだろう。誰もが呆れて実習室へと戻って行った。

ちょうどその頃謎の一団が学内に乗りこんで来た。紫の詰襟を着たこの一団は拳法を使い、学生課、図書館、食堂、実習室、棟という棟にて激しく暴れまわり、抵抗する教師や生徒達を無残にも始末していった。男子生徒はあらかた捕まり、奴隷のように南河内遺跡の発掘調査や血勝明日香博物館建設工事現場へと駆り出されて行った。従わぬ者は土牢〈平和牢〉や営倉〈金剛牢〉に幽閉され、洗脳教育を受ける事となった。女子学生もあらかた連れ去られ富田林や河内長野のスナックにホステスとして派遣され労働の上りを搾取される事となった。そう、芸術計画科のK子ちゃんも、彫刻コースのHIDEMIXも、演劇コースのヒョンスンも…、かわいい子はみんなぱっつんぱっつんのドレスを着せられホステスにさせられてしまったのだ。そして芸大犬“柔王丸”も家畜となってしまった。

大学は一夜にしてこの紫の狼藉者達に乗っ取られてしまったのである。

裏山に居た為、命からがら難を逃れた三吉とタコ丸は隣町、太子町にあるバイク解体屋〈殿山オート〉の元に身を潜める事となった。
解体屋のおやっさんは優しかったが少しく変人であった。発明マニアで訳の分らぬ、役に立ちそうもない機械を拵えては、一人悦に浸っている奇人でもあった。もちろん身寄りもない。昔は趣味でカンフー道場を開いていたらしいが看板だけを残し今は廃業していた。二人はこのおやっさんの名が殿山トチ朗という事以外まったく知らなかった。学園祭の模擬店で居酒屋をやった際、客として来ていたのをきっかけに知り合った程度の間柄だったが、一人で暮らすよりは賑やかでいいだろう、という単純な理由から二人はしばらくここで厄介になる事を許された。

だが、身を潜め大人しくしていりゃいいものを最愛のマドンナKちゃんをホステスにさせられたことが我慢ならなかったタコ丸は血気にはやり、一人、悪の巣窟となった大学に殴り込み奇襲をかけた。
結果は多勢に無勢。案の定、敵の雇った猛者百人につかまりタコ丸はみせしめに片腕をもがれ半死半生の目に合う。あわや命まで奪われる寸前にスクーターで乗り付けた三吉に助けられ解体屋へと逃げのびた。

三吉とおやっさんの献身的な看護の末。タコ丸は社会生活を営めるまでに回復した。だがおやっさんは鋼の腕を作ってやると言い、秘伝の薬液(嘘。廃油と灰汁と軟膏を混ぜた物)を塗布し真に受けたタコ丸をさらに半死半生の目に合わせてしまう。そのせいでタコ丸は腕どころか体の半分以上を機械化せねばならなくなり、ある意味本当に鋼の腕になってしまった。

そんなタコ丸と共に、おやっさんの解体業を手伝いながら虎視眈眈、逆襲の機会を窺っていた三吉であったが、些細な事からおやっさんと口論になってしまう。ある日、酒に酔って帰って来たおやっさんは三吉に向かって「復讐など空しい事さ、いい加減諦めて定職に就け、このプータロウ」と言ってはならぬ事を言ったのだ。激しい口論の末三吉は解体屋を飛び出してしまう。タコ丸を残し。

数か月後、三吉は大阪は住之江区南港に流れ着いていた。昼間は港湾労働者として汗を流し、夜は司法書士になるための勉学に明け暮れる日々を送っていた。それもこれも弁護士となりいつの日か法廷で大学を乗っ取った連中を法的にやっつけてやるつもりだったからだ。
世間は一見何事もなかったかのように平和だったが、それは表向きの話であった。大学を乗っ取った連中はそのまま勢力をのばしあらゆる学園を傘下に収め、今では市内を歩く時でも連中の目を気にせねばならない程であった。

司法試験も目前に迫ったある日、三吉はバイト先のトラックターミナルにてある話を耳に挟む。話の主は三吉同様、紫の詰襟どもに母校を乗っ取られたという男である。
「母校は今じゃ学校法人殿山学園が経営しているんだ。殿山トチ朗とかいうジジイが何もかも牛耳っててね…」
三吉は耳を疑った。驚愕の事実だった。殿山トチ朗と言えばおやっさんの事である。おやっさんがあののっとりグループの親玉だったとは!もちろん三吉が大学で同じ目にあったという事をこの男は知らない。三吉がいる横でペラペラと全てを教えてくれた「ある日突然、やって来て乗っ取られたんだ。何もかも…」

三吉は司法試験もほっぽり出し、怒りの塊となって太子町の解体屋に突っ込んで行った。そのままおやっさんに掴みかかり有無も言わせずなぐり怒鳴りまくった「だましたな!俺達をだましたな!この野郎!この野郎!」おやっさんは首をしめられ何も言えなかった。ただ、苦しそうに手をばたつかせるのみだった。それを横から止める者がいた。タコ丸だった。義手で三吉の肩を掴みおやっさんから引き剥がしたのだ。
「やめろ!三吉!人違いだぜ」
「何が人違いだ!こいつが俺達の仲間を殺り、K子ちゃんやHIDEMIXやヒョンスンをホステスにしたんだぞ!ぱっつんぱっつんの!このやろう!」
「だから人違いだと言ってるだろ!いいか連中の親玉は殿山ボケ朗!おやっさんの弟だ!」「え!?」

タコ丸の話によるとおやっさんもボケ朗も元々孤児だったそうだ。子供のいなかった先代道場主が彼らを引き取り、この道場兼解体屋にて育てたというのだ。二人は血は繋がらぬものの兄弟子、弟弟子という間柄、仲良く拳の道に進むべく修行に精進した。だが弟弟子ボケ朗は長ずるに連れ、甚だ素行悪く、悪友と付き合うようになり、万引き、恐喝、暴行事件や窃盗事件を起こし、先代の怒りを買って破門されてしまったというのだ。
その後ボケ朗は様々な職業を転々とした後、遊戯業で蓄えた資金で学校法人殿山学園を起業。自ら理事長を務め、三吉達の大学付近にてパー・プル学園なる私立高校を運営していた。だが、併設する遊園地パー・プルランドの経営破綻や、夏の風物詩にしようと毎年開催していたパー・プル花火大会の莫大な運営費用等が嵩み、巨額負債を抱え込んでしまう。そしてもはや手も足も出なくなった結果、ついに武力による近隣の学校乗っ取りという暴挙での解決に打って出るようになってしまったというのだ。もちろん南河内地方の政治家や警察も事前に抱き込まれていて全員グルだった。この件に関しては誰もが見て見ぬ振りをしているのだそうだ。

おやっさんは三吉に詫びた。いつかこの事を言わなければなるまいと思っていたが、つい言いそびれ、そうこうするうちに三吉が出て行ってしまい、残ったタコ丸にのみ打ち明けたというのだ。
「すまない義理の弟とはいえ、あんな弟にしちまったおれにも責任があるんだ」
「おやっさんは関係ねえよ。なにも連帯保証人になるこたあねえよ…」三吉は冷静になりながら言った。
と、そこへ全身の半分が鋼の犬が現れた。くぅーんと鳴きながら嬉しそうに鉄の尻尾を振り振り三吉の膝に飛び乗ってきたのだ。三吉はすぐに気付いた「お、おい!こいつもしや…」
「そうだ。柔王丸さ!こいつ家畜になるのを逆らって命からがら逃げ出して来たのさ。エライ目にあったらしく半死半生の所をおやっさんに助けられたんだ」
「なんて、やろうだ!こいつぁ!」三吉は半分鉄の塊の柔王丸を抱きしめた。くうーん、くぅーん、ぺろぺろと三吉の顔を舐める柔王丸。タコ丸が言った「俺と同じく変わっちまったけどまだ“クサ”を嗅ぎわける事も出来て鼻も利くんだぜ」
その時、押し黙っていたおやっさんが突然言った「あるぞ、一つだけ…、奴を、弟を、倒す手がな…」

その日から特訓が始まった。

おやっさんがカンフーを伝授してくれるというのだ。紫の詰襟軍団を倒したけりゃまず拳法を会得するんだ。ボケ朗は拳法を悪用して裏社会からのしあがったのだから、奴をまっとうな道に連れ戻すにはこの“拳”で奴の鼻を明かさなければなるまい…。おやっさんはそう考えたのだ。
おやっさんは三吉、タコ丸に殿山家に代々伝わる拳法を教えるという。その名も〈麻形酔掌十二拳〉通称“麻拳”だ。

麻形酔掌(まぎょうすいしょう)とは殿山道場初代師範、殿山青片こと殿山こぺ八が創始した拳である。乾燥させたる大麻草を燃し、其処から立ち上る紫煙を吸引する事により心身を落ち着かせ、神経を弛緩させる事により生まれる拳の技法である。演武は忘我の境地において行われ、酩酊の素振りを見せる“形”にはいずれも敵を甚だしく油断させる効果がある。だがいざ攻撃へ転ずるや怒涛の打撃を嵐の如く降らせ敵を滅する。剛柔、多寡、遅速、緩急、自在に操る拳である。

◆第一の形。〈茶亜李偉・覇亜可亜〉茶亜李偉はハード・バッパー。圧倒的な数の突きを繰り出し、相手を手も足も出ぬほどに翻弄する。その激烈な攻撃たるや飛来するスズメ蜂の如き也。

◆第二の形。〈無頼庵・丈雲図〉無頼庵は倒錯の神。暗雲垂れ込める宙に龍が舞う。世界を“黒く塗る”が如き琵琶の調べに合わせ流麗に舞い、女を抱くかのように纏わりついては膝蹴りをみぞおちにしたたかお見舞いするのだ。その陶酔の様、かのオリュンポスの神デュオニソスの如き也。

◆第三の形。〈地絵李偉・我瑠獅亜〉地絵李偉は大熊の化身であり即興の神。煙を喫む様、雲を喫むが如し。長尺のインプロヴィゼーションを好み、思いつく限りの技をひたすら繰り続ける。蹴り、拳、突き、その閃き電光の如き也。

第三の形まで会得したものの、これから先、第十二の形まである奥義を極める為には大麻が必要だった。それも並みの大麻じゃ駄目だ。大学裏山に自生するという伝説の巨大大麻でないと駄目だとおやっさんは言うのだ。三吉とタコ丸は悩んだ。今や裏山を含め大学敷地内は簡単に侵入出来なくなっていた。そこへのこのこ探しに行くなんて捕まりに行くようなものだ。馬鹿な真似は出来ない。三吉、タコ丸、柔王丸はとりあえず裏山と同じ山系である太子町の山を捜索する事にした。だが太子町の山という山を巡ってもまったく見つからなかった。三吉は諦め、大麻無しで修行に励もうと言ったがタコ丸は大学裏山に忍び込むと言ってきかなかった。あそこなら必ずある筈だ。三吉は気がすすまなかった。大学内は奴らパー・プル共の縄張りである。よしんば捕まったら復讐どころではない。だが虎穴に入らずんば虎児を得ずである。タコ丸に押され仕方なく真夜中、大学裏山へと忍び込む事になった。そして何株かを見つける事に成功する。ところがその帰り道。裏山付近を張っていた警備の者に見つかってしまったのだ。逃げる二人と一匹。だがタコ丸はあえなく警備の者に捕まってしまうのだった「俺のことはいいから逃げろ!逃げるんだ!!」三吉と柔王丸の背中越しにタコ丸の断末魔の叫びが轟いていた。

幻の巨大大麻を二株手にし解体屋へ辿りついたものの、三吉は大事な友を失っていた。うちひしがれる三吉。犠牲は大きかった。相棒の命を失ってしまったのだ。三吉は涙の中で誓った。タコ丸の命を無駄にすまい。必ずやボケ朗を討ちとり、タコ丸の無念を晴らしてやるのだ、と。

それから以前にも増して血の出るような猛特訓の日々が始まった。麻の紫煙燻る中でおやっさんはあらゆる技術を伝授すべく三吉をしごき倒した。第四の形、第五の形…。三吉も復讐に燃え朝から晩までぶっ通しで技の習得に励み、休む事なき鍛錬の日々を過ごした。そして修行の成果は肉体に顕われる。いつしか三吉は見違える程の逞しい男になっていたのだ。髪も自然にドレッドヘアーになっていた。

そんなある日。三吉がおやっさんの使いで隣街まで買い物に出ている間、事件は起こった。
パー・プルの手の者が殿山オートを襲撃したのだ。三吉が買い物から戻るやおやっさんの姿は無かった。柔王丸もいない。家具家財すべて荒らされ大麻も全て持ち去られていた。あるのは無用の液体だけ。そうタコ丸を半死半生の目に合わせた例の“秘伝の薬液”のみだった。壁には血で書かれた走り書きがあった。

“おやじを返してほしけりゃ大学まで来い”

誰もいない。静まり返った校舎前ロータリー。三吉がここに立つのは一年振りだった。入口から坂をのぼり校舎内を正面から突き進む。すると第一食堂に敵はいた。百人あまりの詰襟軍団が息を潜め手にバットや警棒といった武器を持ち待機していたのだ。皆、凶相揃い。タコ丸の手をもいだ猛者共である。だがしかし、それとていまや三吉の敵ではなかった。鍛えられた三吉の体に触れられる者は一人としていなかったからだ。三吉一人を相手に百人近くの詰襟どもが一斉に襲いかかったが皆、拳の餌食となった。バットはへし折られ警棒は蹴り飛ばされ、ばったばったと床に倒れされて行った。逃げまどう紫の男達。無理もない。今の三吉と一年前の三吉とでは格段の差があり、その差たるやボンレスハムとマッチ棒、或いは現在の長淵とデビュー当時の長淵くらいの違いがあった。

詰襟共をしばき倒した三吉は校舎を奥へと進んだ。すると噴水の止んだ、ドレミの広場付近で三吉を呼ぶ声がする。お~い~…、三吉~…聞き覚えのあり過ぎる声がコロシアム風の広場に轟いていた。三吉は声のする方へ、広場へおりる階段を走った。すると暗闇の中、ひっそり佇む影があった。三吉は目を凝らし声の主と思しきその影を見た。そして驚いた。声の主はタコ丸だった。死んだと思っていたタコ丸がそこにいたのだ。三吉は嬉しさのあまりタコ丸に飛びついて行った。
「おい。生きてたのかよ!」
飛びついたもののひんやりとした違和な感触がした。よく見るとタコ丸の体は全て鉄の塊となっていた。首から上だけがタコ丸なのだ。後は全て機械。おやっさんが機械化した以上に鋼鉄が組み込まれていた。しかも以前のタコ丸より一回りも二回りもデカイ。もうここまでくるとロボットにしか見えなかった。全体の90パーセントがメカなのだ。
三吉は驚きのあまり一瞬後退りした。するとそこへタコ丸のマニュピレーターの如き手が伸びて来て三吉の首を掴んだ。不意だったので油断していた三吉は捕まってしまった。タコ丸は暴れもがく三吉を壁に投げつけた。
「どうしたんだ。何があったんだ?」三吉は叫んだ。ところが、タコ丸はキュラキュラと音を立て三吉に近寄るなり肩から何かを発砲して来た。咄嗟によける三吉。弾のあたった壁は蜂の巣状に破壊されていた。散弾銃のようなものが肩に仕込まれている様だ。足もキャタピラ式になっている。
「おい。やめろ!タコ丸!俺を忘れたのか!?」
タコ丸はもはや三吉の声など聴いていなかった。三吉が身を守ろうと隠れた壁に向かって延々銃のようなものを発砲してくるのだ。しかし、しばらくすると銃声は止んだ。そしてタコ丸とは別の声が上空より轟いた。
「おい!おどろいたか?」
「誰だ!おまえは?」
「俺か?俺は殿山ボケ朗。御存知、殿山学園理事長さ」
「貴様!大学を乗っ取り、おやっさんも友達も皆、連れ去りやがって!タ、タコ丸に何をした!」
「ふふふ、タコ丸はもうお前の事など忘れてるよ。色々とイジラせてもらったからな。見ろ!今じゃ只のラジコン・ボーイだぜ!ふはははは」
三吉は壁から広場を覗いた。するとメカ・タコ丸はガトリング式機関銃を夜空に連射しだした。確かにタコ丸にはアンテナらしきものが仕組まれていた。目には感情も意識も見受けられない。あやつりロボットになっているのは確かだった。三吉は叫んだ「こんな事して一体何が目的だ!おやっさんを返せ」
「ふふふ、会いたいかトチ朗に。ならばこいつを倒してからにしな!せぃ!」
ボケ朗はあきらかにメカ・タコ丸を遠隔操作していた。この号令とともにメカ・タコ丸は三吉の潜む壁に突進してきたからだ。激震。体当たりされ崩れる壁。逃げ場の無くなった三吉は対峙せざる得なくなった。三吉は至近距離から襲い来るタコ丸のマニュピレーターをかわし続けるが、すぐにもまた首を掴まれてしまった。そしてねじあげるようにして一気に宙に吊りあげられる三吉。息ができず苦しみに悶える三吉。意識も朦朧とし口から泡が出て来た。もはやこれまでか…諦念の中、消え行く意識。ところが落命を意識した瞬間、三吉の眼にあるものが飛び込んできた。
犬である。
そう姿を消していた柔王丸がコロシアムの階段を駆け下り、メカ・タコ丸の首にとびかかりかじり付いたのだ!ケーブルというケーブルを噛み切り、ついには頭頂部のアンテナをがじがじかじり出したのだ。
おかげで制御が効かなくなったメカ・タコ丸は暴走し出した。三吉を放り出し、柔王丸を首に巻き付けたまま広場を駆け上がり、そしてそのまま柔王丸もろとも生垣へと突っ込んで行った。生垣の向こうには崖があり、その下には土牢〈平和牢〉があった。三吉の耳にはメカ・タコ丸が崖をガラガラ音を立てて落ちて行く音が聴こえた。

「命拾いしたな!小僧」
声のする方を見上げるや長髪を後ろで縛り、口髭を生やした男がタコ丸操縦用プロポを手に立っていた。長身痩躯。まるで仙人のような佇まいである。男は不敵に笑いプロポを投げ捨てた。そして三吉に向かって手招きをした「よし、こっちへ来い。話がある」
三吉はコロシアムを駆けあがった。そしてボケ朗と対峙した。
「おやっさんを返せ!何の目的で道場を襲撃した!」
ボケ朗は不敵な笑みを浮かべるや一瞬間を置き、こう言った
「トチ朗兄貴か?ふん、兄貴は餌さ。お前をおびき寄せる為のな。俺はお前に用があったのさ」
「何ぃ!?」
「お前等がうちの敷地から例のガンジャを盗み出したと知ってピンと来たのさ。わざわざ危険を冒してまで我が学園の敷地に踏み込み、大胆にも盗んで行くなんて、余程の理由がないかぎりありえないだろう?麻拳会得の為って理由くらいないとな」
驚いた事にボケ朗はそこまで見透かしていた。
「だから、今までずるずる泳がせて置いたのさ。今日の事も、貴様が“拳”を会得したであろうタイミングを見計らってやったのさ」
「ど、どういうことだ!」
「俺の右腕になれ。俺は先代から麻拳を受け継ぎたくて仕方が無かった。だがそれは叶わなかった。ところが期せずしておまえはそれを受け継いだ。俺はおまえのような幸せ者が羨ましくて堪らないのさ。どうだ?一緒に組まないか?ガンジャはいくらでもやる。この学園も任せてもいいと思ってるぜ。その腕を俺の為にさえ使ってくれりゃ…」
三吉は笑った。答えはノーだった。
「ふざけるな!誰が貴様と組むものか、この拳は、お前を倒す為に身に付けたもんなんだ!タコ丸の無念を晴らし、K子ちゃんやHIDEMIXやヒョンスンを救い出す為に身に付けたもんなんだ!」三吉は構えを見せた。“亀の舞い”だ。それは麻拳の導入部であるスローリーこの上ない構えだった。あまりにレイド・バックした演武だった。
「ふん。交渉決裂というわけだな」ボケ朗はボクサーのようなフットワークを繰り始めた。そして「あとで後悔することになるぞ!」というや物凄い勢いで回転して三吉のこめかみ狙って回し蹴りを入れようとした。ところが、三吉は首をのけぞらせるだけでこの地獄のような蹴りをかわした。そしてかわすだけでなく同時にカウンターとしてボケ朗の内腿を狙って手刀で突いていた。この間数秒もなかった。
倒れるようにして後退したボケ朗は動揺しつつも言った
「ほほう…面白い。そ、そうじゃなきゃ俺が見込んだ男じゃないな。い、行くぞ!」
今度は二段蹴りである。正面から顎を狙って打ってきたのだ。三吉はかわす。だがさすがの三吉もボケ朗のスピードある連続蹴りをかわすのに必死で中々攻撃に転じられない。
「どうした?ガンジャがなけりゃただの舞いだな」ボケ朗は余裕の笑みと共に今度は拳を繰り出した。蹴りも早いが組手も速かった。三吉はこれらの技をかわし組手を捌き続けるのに追われ、打撃を与える事が出来ない。防御をするので手一杯だった。そうこうするうちにボケ朗は天に向かって勢いよく足を振り上げた。そして次の瞬間、恐ろしく速いスピードで踵落としが三吉の頭頂部に入ってしまった。前のめりに倒れこむ三吉。そこへまた容赦なく腹蹴りをお見舞いするボケ朗。三吉は2m近く後方へ吹き飛ばされてしまった。
「ふふふ。見込み違いか。大した小僧ではなかったな」仰向けに倒れ込んだ三吉ににじり寄るボケ朗。しかし次の瞬間、ボケ朗は耳を疑った。
「にひ、にひひひ…にひ」三吉は倒れながらも笑っていたのである。
「気でもくる…うぅっ!」同時に酷い痛みがボケ朗の腹部を襲った。見るといつのまにか服は破かれ、腹の肉がもげ切れて血がしたたか流れていた。
何事か分からず膝からくずおれるボケ朗。そう、三吉は踵落としを受け、倒れかかった瞬間、ボケ朗の腹部をペンチの如くつまんでいたのだ。そして腹蹴りをわざと受け、吹き飛ばされる力を利用してボケ朗の腹の肉をもいでいたのだ。
三吉は立ちあがった。そして第二の形〈無頼庵・丈雲図〉をゆっくり舞い、ゆるりとボケ朗に絡みついて、とどめの膝蹴りをみぞおちにお見舞いした。
どず!
鈍く重たい音が響いた。ボケ朗は血反吐とともに絶命した。
三吉の勝利である。

そこへ勝利の余韻に浸る間もなく、大勢の男達が気勢を挙げ、なだれ込んで来た。手には松明や角材を持っていた。どうやら平和牢に幽閉されていた芸大生達だった。メカ・タコ丸が崖下へ落下した事により平和牢が陥落したのだ。皆この機に乗じて一気に牢を破り、看守をぶん殴って出獄。そして大学を取り戻すべくいざやって来たというのだ。だが、勇んでやって来たものの仕事はあらかた三吉の手により終えられていたから呆然と立ち尽くすしかなかった。
「おどろいたぜ、おめえ一人でやったのか?」
彼らはボケ朗の亡骸を見て三吉を褒め称えた後、三吉に促され、他の牢で幽閉されている学生やホステスをさせられている女子達の救出に向かって行った。

三吉は校舎内を進んだ。するとどこからか助けを求める声が聴こえて来た。
「おおーい…ここだー!誰か来てくれー!」
おやっさんの声だった。三吉は声のする方向へ走った。そこは〈喫茶ハマグリ〉のあった部屋だ。
三吉は叫んだ「おやっさーん!俺だ!三吉だ!助けに来たぞ!」
とは言ったものの、三吉は何か妙な気配を感じていた。そしてそれはハマグリの入り口に近づいた時点で確信へと変わっていた。匂いがするのだ。大麻の。燻した時に出る香りがハマグリの中から芬々と漂い流れて来るのだ。三吉はおそるおそる中へ足を踏み入れた。するとおやっさんはいた。テーブルには何本ものパイプが置かれ、灰皿にはたくさんの燃え滓があった。おやっさんは三吉に背を向けたままだった。一本キメているのか煙がくゆらされていた。
「おやっさん、助けに来たぜ。さ、もう帰れるから、出ようよ…」
おやっさんは煙を深く吸い込んだ後、息を止め、肺の底まで煙を沁み込ませてから息をゆっくり吐いた。そして三吉にこう言った。
「ありがとう」
「お?ああ…どうってことねえよ。さ、こっから出よう」
「ボケ朗を消してくれて、ありがとう」
「あ、あぁ、す、すまない、あそこまでするつもりは無かったんだけど成り行き上…」
「いや、いいんだ。あれでいいんだ。すべては俺の計算通りだからな」
「えっ?」
おやっさんがくるりと振り向いた。手には太巻きのポットをつまんでいる。そしていつになく邪悪な笑みを浮かべて三吉にこう言ったのだ。
「おかげで全部俺のものになったよ。この大学も、学校法人パー・プル学園もすべて。奴を消してくれてありがとう。育て甲斐があったというものさ」
「おやっさん…」
次の瞬間、おやっさんの拳が三吉の腹に決まった。不意を突かれテーブルに倒れこむ三吉。
「俺は昔っから奴のような卑怯者は嫌いだったんだ。だからありがとう。だが消してもらった以上お前にも消えてもらわなければならないんだ」
腹部を襲った激痛の中で三吉は全てに合点が行った。そう、全てはおやっさんこと殿山トチ朗が仕組んだ罠だったのだ。そしてトチ朗は弟ボケ朗を亡き者にすべく三吉を刺客に育て上げていただけだったのだ。本物の黒幕はトチ朗だった。
「ただ、計算外だったねぇ。平和牢を破り、暴徒を解き放ってしまう事になるとは思いも寄らなかったよ」トチ朗はすっくと立ち上がり第一の形〈茶亜李偉・覇亜可亜〉の構えを見せるや、苦しむ三吉を嵐のような突きでお見舞いした「おかげで損失が出たよ。どうしてくれる?かわいい俺のホステス達まで逃がす事になるたぁな」
三吉は転げ回り、逃げた。そして息を整え、構えた。
「な、なんだい…そういう事だったかい」三吉は言った。そして第三の形〈地絵李偉・我瑠獅亜〉を見せた。
「おやおや、ここでその形に行くかい?まぁ懸命ともとれるな。どれやってみな」
三吉はもはや闇雲に突っ込んで行くしかなかった。師匠相手ではすべてが見透かされ手の内を読まれてしまっているから、先の読めぬインプロ攻撃をするしか道が無かったのだ。だが、それすらも敵わなかった。蹴りも突きも拳も、何もかも目の前のトチ朗から教わったものだ。すべてかわされ、撥ね退けられた。それだけでなく三吉が自家薬籠中の物としていたカウンター攻撃を逆に加えられてしまったのだ。もはやダメージがボケ朗の時と比べ物にならなかった。
「ではそろそろ俺の番だ」トチ朗はこういうなり、見たこともない演武を繰りだした。緩急が三吉が教わったどの形よりも読めない。ゆったりとしたリズムのなかに四分打ちと八分打ちが混在しているかと思えば十六分打ちもある。アクセントが何を基本にしているのかも三吉には見えなかった。
「な、なんだ一体…そりゃ…」と三吉。
「ははは、驚いたか?まだこれは教えていないからな、これは第十三の形〈墓部 麻亜莉偉〉さ」
「だ、第十三の形!?ぼ、ぼぶ?十二で終わりじゃねえんのかよ!」それは麻形酔掌中、最強にして最終の形であった。三吉はうろたえた。まだ見ぬ新しき形がある事を知り、判断不能に陥ったのだ。そして闇雲に突っ込んでしまい、いきなり手を掴まれ後ろ手に吊りあげられただけでなく喉をトチ朗の手に挟まれ絞めあげられてしまった。
「緩やかに絞め殺す事おろちの如く!」
三吉は肘鉄を馬鹿力でトチ朗の腹に叩き込みこれを逃れた。だがトチ朗は猛攻を続ける。今度は三吉の足を払い倒し「獅子王の如く泰然自若、獲物を狩り!」と床に倒れた三吉の顔めがけキックを打ってきた。三吉は手や腕で受け、それをかわし続ける「ふははは!ジャークする事ジャマイカ湾の鮫の如し。うらぁ!」恐ろしき形相のトチ朗。普段のトチ朗とはまるで別人のようだった。これが本性なのかも知れぬ。その豹変ぶりに三吉は恐ろしさを覚えながら喫茶テーブルを盾にトチ朗の蹴りを回避した。だが甘かった。トチ朗は一旦後退したかと思いきやそのまま勢いを付けて走り込みテーブルごと三吉に飛び蹴りをくらわせたのだ。三吉は押し飛ばされ後方の窓ガラスに当り、破砕したガラスやテーブルごと階下へと落下して行った。
「バッファローの如き猛進、敵の骨を破砕し…」ガラスの割れた窓際に立ち、階下でのびている三吉に向かって演武をみせるトチ朗「しなやかなる体フラミンゴの如き也」一通り流麗な拳捌きをデモンストレーションし終えるやこう言った「これすなわち!麻形酔掌における五獣の拳也ぃ!」 

トチ朗は最強だった。さすがパー・プル学園を影で動かすだけはあった。三吉は今度こそ半死半生、死の淵にいた。薄れ行く意識。立ち上がろうにも体がついてこない。骨が折れているのだ。頭上の喫茶ハマグリ窓際からトチ朗の哄笑まじりの歌声が聴こえてきた。
「ふははは立てよ!三吉ぃ!…ぁ、げらっぷ、すたんだっぷ!…ぁ、すたんだっぷふぉーよらいっ!」
敗北感と恐怖が三吉を襲う。骨だけでなく心も折れかかっていた。もう駄目だ。諦めて降参しなけりゃ命はねえ、いや、むしろやられた方がいっそ楽なのかも知れねえ…。

と、そこへ何かをずるずるひきずりながらやってくる動物の影が見えた。みると口にペットボトルを咥えた柔王丸だった。手負いの半メカ・ドッグが重たそうにペットボトルをひきずりながら三吉に向かってやって来るのだった。三吉は言った「み、水を、くれ、水…」
咥えて来たペットボトルを三吉の口の前に置く柔王丸。三吉はそれを一気に飲んだ。ごくごくごく…

次の瞬間。三吉は激しくのたうちまわった。あれだけダメージを受け、立ち上がれなかったというのに手足をばたつかせ、体をぐるぐる振り回しながらそこらじゅうを駆けまわり出したのだ。狂ったように転げ回り口から反吐をもはいている。
「がぽっ!げほげほ!…柔王!おめえ!…こ、これは!?げほっ!」
「くうーん、くうーん」
そう。柔王丸が持ってきたペットボトルには例の薬液が入っていた。タコ丸に鋼の腕を作ってやるとトチ朗が塗布しさらに半死の目に合わせた、あの“秘伝の薬液”がである!
三吉が苦しみ悶えるのも無理は無かった。塗布しただけでタコ丸を人事不省に陥らせてしまう程の劇薬である。それを一気に飲み干したから体内が大火災のように燃え盛っているのは明らかだった。吐き戻そうと必死で指を突っ込む三吉であったが、無駄だった。何をやっても痛みと熱さが取れないのである。壁に体をぶつけ地に頭を打ちつけたが駄目だった。そしてとうとう、もんどりうって壁の向こうへ倒れ込み、頭から落ちてそのまま動かなくなってしまったのだ。足を天に向けたまま。

三吉の奇態に目を丸くして見ていたトチ朗であったが場が静まるや高笑いを始めた。
「ふはははっは!畜生の浅知恵よ!手間が省けたというもんだぜー!」
そして三吉の生死を確認すべく階下へ飛び降り、吼えかかる柔王丸を蹴り飛ばしてからのしのしと壁の近くまで歩いて行った。
「むっ!」トチ朗は歩を停めた。壁に倒れ込む三吉の足がぴくりと動いたのだ。

ぬんむごぉおおおおおおおおおおおおおおおおお…

地響きのような奇声が壁の向こうから聴こえて来た。
「うぬめ…。生きとったか」トチ朗は構えた。
次の瞬間、三吉の足が壁の向こうへ消えた。と、同時に突然、壁が爆発した。見ると崩落する壁の粉塵の中で三吉が立っていた。よく見ると壁も爆発したのではなかった。三吉が殴って破砕させたのであった。
「おお!こ、これは…」トチ朗の額からはじめて一条の汗が滴り落ちた。
見ると目の前の三吉は激しく黒ずみ、焼いた鉄の如く目がちろちろと熾っていた。
「おやっさん…。あんた、間違ってたぜ」声帯が焼け爛れたのか声がごつごつくぐもった低音に変化している「こりゃあ塗り薬じゃねえ…。飲み薬の方だぜ!」
そういうや三吉はトチ朗に飛びかかって行った。トチ朗は体をかわし、カウンターで喉を狙って手刀を入れて来た。
「死ねぃ!」だが、衝撃を感じたのはトチ朗の方だった。三吉の喉は鋼鉄の如く硬くなっており手刀が効かなかったのだ。トチ朗は痛みにのたうちながら攻撃を回避すべく壁に隠れた。だが三吉は追おうともせず、「秘伝の薬液、薬効ありだ!」と言って壁を素手で殴り穿ち、隠れていたトチ朗の手を握って瞬時に骨を砕いた。「ぎゃあああ!」壁の向こうから聞こえる絶叫。三吉は鋼の体を手に入れていたのだ。そして、その壁もろとも破砕しトチ朗の眼前に現れた。
「ひっ!ひぃい」恐怖と痛みから尻込みしようとするトチ朗。だが腕を掴まれてしまったままだ。「や、やめろ!」必死で蹴りを入れるが効かない。第一の形、第二の形…麻拳の形すべてを投入するも今や三吉相手にはまったく効き目がなかった。
三吉は不動明王のような顔でトチ朗を見据えたまま、攻撃を受け続けていた。そして、トチ朗の息が徐々に上がり、攻撃が弱まって来たのを見計らうや、ぽつりと告げたのだ。
「色々とありがとう。太子町で世話になった日々、忘れないよ」
三吉はそのまま手刀でトチ朗の首を刈り落とした。


四月の穏やかな日差しの中、南河内地方の爽やかな薫風を浴びて、二人は裏山にいた。相変わらず柔王丸を連れ歩いている。
「あったか?」とタコ丸。
「こっちはねえな。ボウズだわ今日も」と三吉。くうーんと柔王丸も鼻をならした。
「よっこらしょ」三吉はレジャーシートを敷き、黒光りする体を横にして休憩した。キャタピラをきゅらきゅらさせながらタコ丸が言った「あらかた持ってかれちゃったからなあ。ほんっと残念だよな」
くうーん、と柔王丸。
そこへ、女子達が現れた。芸術計画科のK子ちゃんと彫刻コースのHIDEMIXそして演劇科のヒョンスンだった。
「あんた達、いいかげんそろそろ授業に出たらどうなの?」
「そうよ。“お情け”で二回生に上がれたけど、このままだと三回生は厳しいわよ」
「そ!それにあんた達大体、何をさがしてるのよ。どうせヤバい物なんでしょ!?」
「そうよ、そうよ!」
彼女らは口々に三吉、タコ丸を咎め始めた。だけど手にはお弁当を持っている。そしてそのままレジャーシートに腰かけぺちゃくちゃ喋りながら弁当を食べ始めた。ピクニックである。大学は元の平静さを取り戻したのだ。
三吉とタコ丸は女子軍の問いに言い張った。
「ヤバい物じゃないってば、俺達トリュフに目覚めたんだから。なぁ?」
「おう!」
「くぅーん」

劇  終
(おしまい)

。たしまいざごうとがりあきだたいでん読でま後最

2011年2月11日金曜日

ヒーロー困憊 ― バトル・オブ・大トン 南海通りの決斗

足も痛けりゃあばらも軋む。背中にゃ打身にミミズ腫れ。肩も凝って仕方がない。全身これ筋肉痛…。嗚呼早く酒呑みてえ…。
週5日もの休肝日と重労働を終え、週末の夜、男は千日前にいた。
ハードな週だった。鬼はくるわ蛇は出るわ、空から宇宙船が攻めて来たかと思えば地からテレスドンが現れ収拾がつかぬ程忙しかった。
なんとなればいつものように大きくなってしまえば仕事もはかどるのだが、それとて三分しか持たぬから手際の良さが求められ体力だけでなく頭も使わねばならない。そんなわけで今週はもう完全にオーバーワークだった。

大阪焼トンセンター
だが、それら疲労困憊の日々も今宵の一献があるから忘れられるのだ。いつもの店のいつもの酒が、男の心を空しき闘いの世界から解き放ってくれる。
大阪焼トンセンター。通称“大トン”。南海通りから千日前通りへ続くアーケードが果てた辻を南に折れるとすぐにある、新進気鋭の立ち呑み屋だ。
男はビニールシートの被いをくぐり中に入った。『いらっしゃいませ!』従業員の朗々たる声が男を迎え入れてくれた。誰も男があの銀色のデカブツだとは知らない。面が割れてないのだ。そこが男にとってこの店を好きな理由の一つでもあった。今宵も気兼ねなく楽しませてもらおう…。男はそう思いながらいつものカウンターに陣取った。頭上から電車の吊革が垂らされてあるカウンター。立ち疲れたらいつでもどうぞというわけだ。なるほど面白いアイディアである。

風の森
三重錦
焼トンをおまかせで五串註文すると男は入口にある冷蔵庫にて今宵の酒選びを始めた。ここでは地酒と壜ビールはすべてセルフサービスとなっている。常時30種以上並んだボトルの銘柄とにらめっこすることしばし、まずは“風の森”から始める事に決めた。奈良は御所(ごせ)の酒だ。
『おっ“風の森”かい?いいねえ!葛城山系の水がいい味を醸しだしているんだよねー』
誰かと思い振りかえると、顔なじみの鱒戸(ますと)さんだった。鱒戸さんはこの店の常連で地酒に詳しい男である。どこか気弱でさえないサラリーマンの彼は、この店ではいつも同僚の穴子(あなこ)氏相手に家族の愚痴をこぼしているのが通例であった。無理もない。鱒戸さんは海産物と似た名前のとある一家に婿入りしていた。嫁はかなりの恐妻で、お魚くわえたドラ猫の捕縛に血道を上げたり、奸計に長けた砂消し頭の弟に懲罰を加えるのが趣味と、いささか虐待嗜好の持ち主であった。鱒戸さんももれなくこの嫁の尻に敷かれる日々を送っていたのだ。ストレスから解放される為にここへ来ているという意味では男と同じ立場であり二人が意気投合するのも自然な話だった。
『君がそれなら僕はこれ!“三重錦”だ』さすが鱒戸さんだ。男が選んだ風の森(葛城山系)に対して鈴鹿山系の伏流水で作られた“三重錦”で迎えようというわけだ。
『今日はアナコくんが付き合い悪くってねー。ちょうど話し相手を探していたとこなんだー』
各々酒をグラスに注ぐやようやく週末がスタートする。疲弊した二つの魂は杯を重ね話に華を咲かせながら焼きトンを味わう。部位はバラとジューシー・ハーツ(心臓)である。精がつき滋養強壮この上ない一品。鱒戸さんはつき出しのコールスローを貪りながら酒を楽しんでいた『ぼかぁ愚痴はこぼすけど酒はこぼさない主義でねぇ~』

バラ(左)ジューシー・ハーツ(右)
ところがこのささやかな宴のさなか、どうにも先程から目につく、無粋な奴輩が彼らの傍にいた。
ホール係の女性を捕まえ、延々くだらない質問や無駄知識をひけらかしては一方的会話を楽しんでいるのだ。店は繁昌しており、女性が配膳業務に忙殺されているのが誰の目にも明らかだというのに。おそらく自分の想いしか頭にないのだろう。傍目に見ても卑しい人物だった。客である以上ぞんざいに扱うわけにも行かぬから詮無く相手しているのが分からぬのだろうか。しかもこの輩、女性従業員にはデレデレと長話をかます癖に男性従業員や料理人に対しては居丈高『おいタクアンくれ!』とメニューに無いものをオーダーし無理矢理作らせたかと思えば『塩が全然効いてないやないかこれ』などと文句を垂れていやがるのだ。なんとも横柄極まりない態度である。
カシラ(頭頂部)
コブクロ(子宮)
フク(肺)
この輩の振舞にさすがに男も鱒戸さんも我慢できなくなって来ていた。職業病というか、持ち前の正義感から男は疲れた体に鞭を打ち、やれ一言物申してやろうと思ったのだ。鱒戸さんもめずらしく勇を鼓し、忠告を試みようとにじり動いていた。
ところが、彼らが踏み切る直前、別のテーブルで呑んでいた一人の客が先に動いた。輩に向かって突然こう言い放ったのだ。
『立ち呑み屋で安く上げようなんて無粋だな』
この瞬間、店の空気がさっと凍りついた。輩も自分に物申す奴が現れた事がいささか信じられない様子で、緊張を感じたのか口髭が不安に歪んでいた『な、なんやと、お、お前こらあ…』輩はちんけだが、ありったけの凄みを利かせた。
だが首に赤いマフラーを巻いたこの客は勇気の塊だった『スナックでちゃんとチャージを払って呑み給え』と言ってくいっと杯を空けるなり、怯むことなく言葉を続けたのだ『そこの“ハイキャバレー・ユニバース”にでも行ったらどうだ?話相手はいっぱいいる筈だぜ』
おお!皆が思っていた事をズバリ言ってくれた!店内の誰もが次の瞬間どっと笑って拍手喝采した。ところが言われた当の輩は顔面を紅潮させ怒髪天を衝いて血管をぴくぴくさせていた『おもしれえ!俺様に文句があるんなら相手してやろうじゃねえか!おい!表へ出ろ』
こう言うなり輩とその客はビニールシートをくぐり店の外へ出て行った。

店内にいた誰もが、このストリート・ファイトを観戦しようと二人の後を追った。ところが二人を追って南海通りまで押し寄せた時点で既に勝敗は決していた。勇んで市街戦に誘ったものの輩はあっという間に千日前の夜空へと蹴り飛ばされ、味園ビルのネオンに首から突き刺さっていたのだ。無理もない。南海通りに立つあの客はいつのまにか風車のくるくる回るベルトを腰に巻いたバッタの化け物に変わっていたからだ。“蹴り”で有名なあの改造人間の姿に。夜風に赤いマフラーが靡いている。
思わぬ有名バッタ・ガイの登場に皆、色めき立った。握手を求める者やTシャツの背にサインをせがむ者まで現れる始末。やんややんやの拍手喝采である。鱒戸さんは一緒に写ろうと写メまでお願いしていた『鱈坊よろこぶぞ~』
だが男だけは別だった。浮かれる鱒戸さんを野次馬の中に残しそそくさと一人大トンのカウンターへと戻ったのである。
“いけねえ!あいつぁ同業他社だ!”
男は俯き加減そう呟いた。
彼らの世界にも組合があり、住み分けを求められていたのだ。よしんば競合する場合はどちらかが退くというのが暗黙のルールだった。退かなければトラブルの元である。男は先月、赤青緑黄桃に色分けされた五人組の部隊と縄張り争いで揉めたばかりだったのだ。
会津娘
雪がすみの郷
男は冷蔵庫から新たに“会津娘 雪がすみの郷”を取り出し新しいグラスに注いだ。外の盛り上がりに興味が無い振りをしながら“カシラ”と“テンプル”を註文し見守った。そしてふと言い知れぬ不安を感じたため、内ポケットに手をやり、忍ばせていた“アレ”を何気に探った。するとどうだろう、いつもそこにある筈の“アレ”がないのだ。
周章狼狽して男はポケットというポケットを調べた。だが無かった。床に落としたのかと思い、屈んで探ったがどこにも見当たらない。周囲のテーブルもくまなく眺めたがどこにも置いていなかった。懐中電灯型の“アレ”は。
どこかに落としたのかも知れない、この店に来るまでのルートや記憶を辿りながらカウンターを凝視していると、そこに先程まであった筈の皿や、呑み干したグラスがあらかた片付けられている事にようやく気付いた。いつのまにか洗い場へとはけられていたのだ。
そしてその事に気付いた次の瞬間。男は我に帰った。そして叫んだ『そ、それさわっちゃだめだ!』だが一足遅かった。洗い場から『じょえやぁっ』という奇声が聴こえ、閃光とともに店長がみるみる巨大化して行くのが見えた。 

翌日の朝刊の見出しにはこうあった。

『飲食店従業員、店舗ならびに周辺商店全壊に』

カシラ(左)テンプル(右)
おしまい


〒542-0075 大阪府大阪市中央区難波千日前3-19


※ストーリーは全てフィクションです。

2011年2月4日金曜日

サブスティチュート旧正月 ― 南京町で春節を祝おう

 元旦からしばらくの間、初詣に伊勢神宮に行ったきり、住吉っさんもとんど祭りもえべっさんも行けなかった。なので旧正月くらいは神戸は元町界隈(南京町)に行こうかなんて考えている。久し振りに老祥記の豚饅を買いに並んだりして中華街の風情を味わいたくなったのだ。
 中華街といえば、小学3~4年生の頃、熱に浮かされたかのように中華の物に傾倒した日々を思い出す。NHK人形劇『三國志』にハマり(あの甲冑の格好良さったらない)ジャッキー・チェンの“拳”物やマイケル・ホイのMr.BOOシリーズ等、香港映画にも夢中になった。大阪城築城四百年祭に展示された兵馬俑を見に行ったり、(読めもしない)故事を読んだり、水墨画の(似ても似つかない)真似事をしたり、新聞広告の旅行案内の切り抜きを集めては親に〈万里の長城〉に連れていってくれと迫ったり…と、チャイナかぶれ極まりない小学生だった。
 さすがに中国旅行は叶わなかったが、両親は私を神戸元町へと連れていってくれた。南京町で我慢しなさいというわけだ。完全に代替物ではあるがしかしどうして小学生の私にとってカルチャーショックを受けるに充分な街であった。食材屋には見た事もない魚や調味料が並び、広東語が飛び交い、肉屋では焼豚が吊し売りにされている。雑貨屋には中華文様の小皿が並び、クロガネのごっつい中華鍋も売られていた。試しに鍋を振ってみるが小学生には重過ぎた。だがその所作振舞が映画に出て来る料理のシーンと同じで嬉しかった。
 とにもかくにも南京町初ビジットは興奮した。街中にJ・チェンやMr.Booがうようよいるような気分になったのだ。いや場合によっては酔拳の使い手だっているかも…等とあほな事を考えて感極まっていたのを憶えている。それは太秦映画村でゴレンジャー・ショーを見た時よりショッキングで胸踊る体験だった。
 
 勿論、今やいいオッサンの私がそういうファンタジックな想像を描きはしない。長じるに連れ中国の現実も知り、少なからず幻滅もしたおかげで等身大で物が見られるようになった。だが、やはり春節祭のあの賑やかな雰囲気に独特の風情を感じずにはおれない。大陸文化の華やかな部分をクローズアップした街で、爆竹の爆ぜる音や、鉦や銅鑼の音に合わせて舞う獅子や龍の美しさを堪能しながら、ちまきを食べたい立春なのであーる。
立ち食いもまた楽し